カテゴリ:Column( 50 )


雨の曲ってたくさんあるが、気ままに思い浮かぶものを上げてみる。

テンプターズの「雨よふらないで」
森高千里の「雨」
CCRの「フール・ストップ・ザ・レイン」
モップスの「雨」
三善英史の「雨」
ユーミンの「雨のステーション」

ウッドストックの聴衆の叫び…No Rain,No Rain,No Rain...
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by bongokid | 2005-06-26 20:32 | Column

合衆国だろうがヨーロッパだろうが、どんな貧しい国に行こうと内戦があろうと、そこにトラックが走っていれば、TOYOTAやNISSANの文字を見つけることはそう難しいことではない。しかし、流行音楽(インストロメンタルを除く)というデリケートなソフトにおいて、日本人が世界征服を果たすのはとても困難なことだ。
その原因のひとつは、やはり言葉の問題。少なくとも、英語が第二外国語として浸透しないかぎり(モノを英語で考えるくらいにならないと)、日本人のポップスは世界的に通用しない。

唯一の例外である、坂本九の“SUKIYAKI”がなぜ英語圏であれほどまで受けいれられたのかを、文化人類学的に考察した本でもあれば、本気で読んでみたい。全米第一位という結果は、異国情緒や天才的な歌い回しだけでは片づけられない、なにかがあると思うのだが。

余談:ボブ・ディランとトム・ペティ&ハートブレイカーズが共演した来日公演(1986年)で、インストロメンタルの“SUKIYAKI”が突然演奏された時、嬉しいようなくすぐったいような複雑な気分だった。
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by bongokid | 2005-06-19 17:08 | Column

イギリス人に「キミはなにをやっている人?」と聞かれ、「ミュージシャンだ」と答えた。すると、「いや、そうじゃなくてなにが職業なの?」と言われた。

上記は、70年代初頭に深夜ラジオで聴いた記憶からで、日本のロック黎明期に活躍した成毛滋氏がロンドンに行ったときのエピソード。
つまり、“ミュージシャン”と言われても職業と連想できないほどに絶対数が多かった、ということだった。

楽器弾く人、この国は少ない。
お稽古事、習い事ではなく、そこらへんにある安物楽器に愛着もって、-なにげなく集まり、上手も下手もなく、みんなで会話するように楽しんで、適当に帰っていく-そんな文化的土壌がほとんどない。
音楽を演奏して楽しむことって、本来そんな特別なことではないと思う。

そうか、日本にはカラオケ文化があったか。う~ん…
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by bongokid | 2005-06-15 00:44 | Column

一見矛盾した組み合わせだが、よい映画ではしばしば見かける。
悲しい場面に軽やかな音楽。楽しい場面に沈んだ音楽。
無論、むやみやたらに使えば良いというわけではないが、印象的なシーンとなることがある。

バブル経済のまっただ中に、大好きだったCMがあった。
コピー機会社のCMで、古い高層ビルにダイナマイトを仕掛け、そのビルが崩れていくスローモーション映像。BGMは阿川泰子のムーディなジャズバラード。
そのコピー機会社は、後に本当に倒れてしまった!MITA。当事者は笑うに笑えないだろうが…。いや、悪い冗談を言いたいワケではない。
そのCMがなぜ好きだったか?それは、映像とBGMのマッチングの妙だ。
一般に、楽しい映像には楽しい音楽、悲しい場面では悲しい音楽が使われる。
しかし、このCMは度迫力のビルの崩壊場面に、もの悲しくムーディーなバラードだったわけで、度迫力のうるさい音楽-ではなかった。
それがゆえに、逆に物のはかなさを演出していて、(CMの意図自体はよくわからなかったが)とても美しかったのだ。


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by bongokid | 2005-06-09 23:33 | Column

いわゆるロックバンドにおける楽器構成において、ちょっと歪なものに妙に惹かれたりする。いや、歪だからというよりも、好きな音楽が先にあって、気がつけば実はそうだった、と言ったほうが正しいか。

c0033501_1440899.jpgその代表格が【ベースレス】。(ジャズコンボでは比較的多く存在するが)初期のドアーズはオルガンのフットペダルで代用することによって、ドローンとした独特の低音域を醸しだしていた。

レッド・ツェッペリンのライブの場合、ジョン・ポール・ジョーンズがキーボードに回った時はベース奏者がいない。(発表の段階ではオーバーダビングされているが。)これはジョン・ボーナムのバスドラムで補っているとも言えるが、ベースを加えずとも表現に支障は無いという自信の現れか。

以下、パーツ単位のハナシ。
c0033501_14402437.jpgザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド (The Velvet Underground) のオリジナルメンバーでは、ドラムのモーリン・タッカーがバスドラムをまったく使っておらず、フロアタムで低音部を表現している。これによって、独特なガレージ感のある音像になっている。

ザ・フーの場合、オリジナルメンバーのドラマーであるキース・ムーンは、ハイハットシンバル(足でパクパクとペダル操作する)を使わなかった時期が長い。その代わりにしていたのはクラッシュ・シンバルの連打で、終始、壁のように鳴り響いていた。

他には、ストーンズのキース・リチャードの(六弦が無い)五弦ギターが有名ですね。
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by bongokid | 2005-06-05 14:41 | Column

すぐに思い浮かぶのはイギリスでデビューしたアメリカ人のジミ・ヘンドリックス。彼の批評性のある音楽は、英国のフィルターを通したことでより深みが増したような気がする。

英国人、エルビス・コステロの1st.のバックバンドはアメリカ人、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース(が売れる前)のメンバーだ。

いかにも典型的な米国産または英国産と思っていたものが、実はハイブリッドということが多々あり、おもしろい。料理で塩をほんのひとつまみ入れると甘味がより引き立つ-それと少し似ている。
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by bongokid | 2005-04-24 00:02 | Column

MusicMagazine5月号購入。中村とうよう氏が『“ポピュラー音楽の世紀”後の音楽』という特集記事で、~個性の時代は終わった。自己主張を捨てた欲の無い、芸でもない芸術でもない音楽を求める~というようなことを言っている。

もうすでにヒーローはいらないのかもしれない。誰もがごくふつうに音楽を作ったり演ったり聴いたりすればいいのであって、自己主張の道具であったり、社会や世間を意識したり、商売にしたりする必要はないのかもしれない。

100%「そうだ!そうだ!」とはいきなり同意せずとも、これはなかなか考えさせられるゾ!
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by bongokid | 2005-04-20 00:39 | Column

c0033501_181738.jpgレコードコレクターズ誌5月号の特集は『70's BRITISH HARD』。なにを今更!と斜に構えつつも、中学の頃からさんざん体に染みついてきたものを久しぶりに振り返るのは悪くないもので、ついニヤケながら読んでしまった。
以下、立川芳雄氏の記事からで、個人的に印象に残ったエピソード。※【~】は私の独り言です。
  • ジミ・ヘンドリックスあたりがフルボリュームで歪ませたことも、クラプトンがトレブル値0にしてウーマントーンを作ったのも、本来マーシャルアンプの製作者が想定していなかった掟破りの使い方だった。
    【今では当たり前に聴いているその音は、かなり無茶な手法だったわけだ。そりゃそうだ!ふつう一般に音のボリュームは、レベルの0や10は使わないものだ(笑)】

  • ギター低音三度抜きのリフはリッチー・ブラックモアあたりが最初らしいが、いわゆるロック感覚を醸しだす重要な手法であり、いまだに延々と使われている。
    【しかし、ギターリフに著作権は無いのだな。残念!】

当然ながら、当時のロックの初期衝動は“アンチ・モラル”であり、また当然ながら、それは音の“掟破り”ともリンクしていたわけだ。

余談だが、エンジニアのキース・グラントへのインタビューによると、プロコルハルムの「青い影」のドラムはメンバーのドラマーが気まぐれでさぼった?ために、スタジオの近所に住んでいるジャズ系ドラマーが急遽譜面も観ずに叩いたとのこと。
【手数が多く三連のオカズがくりかえし出てくる原因はこれだったのか!】

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by bongokid | 2005-04-17 00:36 | Column

c0033501_12225475.jpg日曜日、テレビ朝日のサンデープロジェクトを途中まで観る。非常に客観的で説得力のあるコメンテーターが出演していた。
あくまでも素人のカンだが、最終的に亀淵さんと堀江さんは手を結ぶのでは?と思っている。なぜなら、亀淵さんは元々新しい価値観に対して寛容な人だからだ。
ニッポン放送の生え抜きで順調に出世して、今は社長さん。立場上、既存の会社を守る立場であるわけだし、その温厚な人柄で敵も少ない。しかし、一方で元来持っている革新性が深い眠りについていたに過ぎない、と思っているのは自分だけだろうか。

(画像は1971年オールナイトニッポン会員誌・ビバヤングから)

2/13分「亀淵さん」参照
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by bongokid | 2005-04-03 12:25 | Column

地元には日系ブラジル人の方たちがたくさん住んでいる。
近所のブラジルショップでサッカー中継のビデオを何回かレンタルしたことがあるのだが、かなりいい加減なダビングもので、サッカー部分のあとに、なぜかあちらのテレビの音楽番組が録画してあった。
しかもポルトガル語ではなく、「グラッチェ!グラッチェ!」と言うところからしてスペイン語の番組。わけがわからん。アルゼンチンかコロンビア向けなのか???
で、内容はというと、簡単に言えば「ザ・ベストテン」と「夜のヒットスタジオ」と「ヤンヤン歌のスタジオ」が混ざったようなかんじ。アイドルもベテランもあり、スタジオもライブ中継もあり。司会は精力的に早口でしゃべりまくり。
紹介される音楽はというと、これがリズムの大洪水!!!シンコペーションの嵐!!!客は踊りまくり!!!それも一曲がみんな長い。10分から15分がほとんど。ひたすら体を揺らす。休まない。延々と繰り返す。正直言って、いつのまにかキモチヨイのを通り越してつらくなってきた。まさにカルチャーショック!


c0033501_21312439.jpg日本人は(自分も含めて)外国の音楽をつまみ食いするのが得意だが、生活に根ざしたあちらの大衆音楽に本気で接した場合、時に慣れるのが容易でないものだ。なにせ、基盤にある生活習慣も体力も価値観もまったく異なるわけだから。あと食い物も。

めちゃカッコイイのに出会っても実生活となにもつながっていないなぁと、音楽を聴いていて思う時もある。
PRINCEの音楽を、日本国東関東の木造の自分の部屋で、海の向こうの音楽として聴くのと、N.Yのブルックリンのアパートで自国のコンテンポラリーな音楽として聴くのとでは、(同じ音楽でも)リアルな空気感はまったく異なるだろう。
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by bongokid | 2005-03-23 21:34 | Column